散散歩歩。(335)虫を食べる。
「カサ、カサカサ、、、」
部屋の隅を何か小さなものが走った。
蛍光灯に黒く鈍く光る姿を見て、すぐにあれだと解った。
ゴキブリ。
そのゴキブリを朝日新聞を丸めて叩く。
とはいうものの、ここが肝心だ。
相手は凡なんかより遥かに俊敏で、しかも凡の動きの先を読む能力も兼ね備えているらしい。
なので、ここは息を凝らして一旦打つ前に止まって待たなきゃいけない。
そして、相手が油断した隙に一気に新聞紙を叩き下ろすのである。
さて、そうして捕まえたゴキブリ。
朝から瓶の中に入れておいたのだが、もう10匹集まった。
捨てるには惜しいね。
まずは、その内の2匹を細かく切り刻む。
手でちぎったレタスに、揺りかけてダイスの形に切ったチーズを乗せた。
ドレッシングは、オイルアンドビネガー。
サラダはシンプルにね。
メインは、炒めものにしてみるのもいい。
熱く熱した中華鍋に、油をたっぷり引く。
そこへゴキブリを投入して、にんにくを包丁の腹でパンと叩いて香りを出したものを2片入れる。
豆板醤で仕上げをして、最後に醤油を鍋肌に回しかけた。
にんにくと醤油の香ばしい香りが、ジャーンと胸の前まで上がってくる。
換気扇をつけるのを忘れていたので部屋にムッとした空気が澱んでいる。
玄関のドアと、ベランダの戸を同時に開けると、涼しい風が部屋の中を通り抜けた。
今日はこのまま開放的にランチといきましょうか。
サラダを1口食べてみる。
やっぱりシンプルなドレッシングは正解だ。
チーズとの相性もいい。
ただ、ゴキブリの刻んだのが、なかなか奥歯で噛めなくて、いつまでもそのままの形で口の中に残っている。
これは羽の部分だろう。
仕方なく、水で流し込んだ。
さあ、メインだ。
1匹を箸で摘まみ上げて口にいれる。
ニンニクと豆板醤の味と香りが鼻に抜ける。
うん、これはいい。
油で炒めた海老のような風味は、これは格別だな。
「痛い。」
歯の隙間に何か挟まったようで、それを舌の先で取ろうとすうるのだけれど、足の部分だろうか、カギのようになったところが舌に引っ掛かって痛い。
これは、奥歯で噛みつぶしながら食べなきゃいけない。
とはいうものの、これは白ご飯にぴったりの1品である。
、、、、、、。
「ぎゃーーーーーーーーーー。」
そんでもって、
「助けてーーーーーーーーー。」
もひとつオマケに、、
「おえーーーーーーーーーー。」
やっぱり無理だ。
やっぱり、妄想だけでも身震いがする。
凡には、ゴキブリを食べるなんてことは、不可能だ。
たとえ、食べなきゃいけないような事態に陥っても、ゴキブリを食べるなんてことは、進んで選択することではない。
とはいうものの、これを進んでやっていこうと提案している人がいる。
それも、国連食糧農業機構(FAO)という、一応はちゃんとしたところが発信しているのだ。
(朝日新聞の切り抜き)
ここでは、ゴキブリに限定はしていないけれども、これから起こるだろう食糧危機を克服する1つの手として、昆
虫を食べるということもあるというのです。
世界では、日本を含めて、昆虫を食べるという事は、案外に普通に行われている。
日本でも、長野県や岐阜県などの中部地方で、蜂の子を炊き込みご飯にしたり、佃煮にしたりして食べている。
その他にも、ざざむしとかね。
凡が小学生の頃に和歌山市に引っ越したんだけど、その近所の人が「これ食べ。」といってイナゴの佃煮をくれたことがあった。
1つ摘まんではみたものの、中々口にいれるのに時間が掛かった。
カブトムシや、芋虫、蟻、バッタ、こおろぎなど、何でも世界で食べられている虫は、1400種類あるそうです。
考えただけで、ぞっとするよね。
それにしてもだ。
国連食糧農業機構なんて、大そうな名前を付けてるんだから、そこに勤めている人も、たぶん頭のいい人ばかりなんだよね。
だったら、どうして結論が昆虫にいくのかね。
もっとテクノロジーを駆使してさ、食糧危機でも美味しいものを開発しようよ。
それが自然な考え方だとは思いませんか。
とはいうものの、さっきのゴキブリだって、ほとんど全世界で食べられてきた過去があるようです。
それに、このゴキブリをペットにしている心を病んだ人も多いとか。
「ヘルプ・ミー!」
とはいうものの、昆虫を食べている人は、食べたいから食べているのであって、それを止めろとはいいません。
食べたい人は、どんどん食べてください。
よくテレビなどで、虫などのちょっとグロテスクなものを食べる習慣のある人を紹介するときに、作物が採れない地域の貴重なタンパク源だというナレーションがもっともらしく流れる。
でも、あれは違うね。
草木1本生えていない砂漠だったら話は違うけれども、大概の国では虫以外にも食べるものはある。
特に東南アジアなんか、温暖な地域なので、自然に植物も育ちやすいし、昆虫なんか食べなくても他に食べるものがある。
なので、それを食べなきゃタンパク源がなくなって死ぬから食べるんじゃなくて、食べたいから食べているのじゃないかと思う。
突き詰めれば、嗜好品である。
それを食べる人にとっては、すごく美味しい食べ物なんだろう。
そうじゃなきゃ、食糧事情がよくなった現在も食べ続けている理由がなくなる。
それにしても、どうしてこんなに虫がきらいなんだろう。
凡は、海や山はすきだけれど、どこかに得体のしれないものが隠れてるんじゃないかって思うと、こころの底からリラックスできない。
コンクリートで出来た空間でね、プラスチックの椅子に座ってさ、みゆきさんの歌を聴く。これがリラックスっていう
ものだ。
「人工物に、乾杯!」
スライスハムをあてにして、
冷たいカンパリソーダを飲み干した。
ハムの赤い色は、コチニール色素というカイガラムシから取った赤色の色素で食品にもよく使われている。
カンパリソーダも、今は使っていないけれど、2007年まではコチニール色素で赤い色をつけていた。
形が判らなくなってしまえば、虫でも食べられるんですね。
凡も、いい加減なものでございます。
でも、虫っていうのは、どうしてこうも嫌いなのだろう。
(そのうちに、こんなハンドブックを家族で開いてさ、あ、この虫美味しそうなんてやるのかな。)
部屋の隅を何か小さなものが走った。
蛍光灯に黒く鈍く光る姿を見て、すぐにあれだと解った。
ゴキブリ。
そのゴキブリを朝日新聞を丸めて叩く。
とはいうものの、ここが肝心だ。
相手は凡なんかより遥かに俊敏で、しかも凡の動きの先を読む能力も兼ね備えているらしい。
なので、ここは息を凝らして一旦打つ前に止まって待たなきゃいけない。
そして、相手が油断した隙に一気に新聞紙を叩き下ろすのである。
さて、そうして捕まえたゴキブリ。
朝から瓶の中に入れておいたのだが、もう10匹集まった。
捨てるには惜しいね。
まずは、その内の2匹を細かく切り刻む。
手でちぎったレタスに、揺りかけてダイスの形に切ったチーズを乗せた。
ドレッシングは、オイルアンドビネガー。
サラダはシンプルにね。
メインは、炒めものにしてみるのもいい。
熱く熱した中華鍋に、油をたっぷり引く。
そこへゴキブリを投入して、にんにくを包丁の腹でパンと叩いて香りを出したものを2片入れる。
豆板醤で仕上げをして、最後に醤油を鍋肌に回しかけた。
にんにくと醤油の香ばしい香りが、ジャーンと胸の前まで上がってくる。
換気扇をつけるのを忘れていたので部屋にムッとした空気が澱んでいる。
玄関のドアと、ベランダの戸を同時に開けると、涼しい風が部屋の中を通り抜けた。
今日はこのまま開放的にランチといきましょうか。
サラダを1口食べてみる。
やっぱりシンプルなドレッシングは正解だ。
チーズとの相性もいい。
ただ、ゴキブリの刻んだのが、なかなか奥歯で噛めなくて、いつまでもそのままの形で口の中に残っている。
これは羽の部分だろう。
仕方なく、水で流し込んだ。
さあ、メインだ。
1匹を箸で摘まみ上げて口にいれる。
ニンニクと豆板醤の味と香りが鼻に抜ける。
うん、これはいい。
油で炒めた海老のような風味は、これは格別だな。
「痛い。」
歯の隙間に何か挟まったようで、それを舌の先で取ろうとすうるのだけれど、足の部分だろうか、カギのようになったところが舌に引っ掛かって痛い。
これは、奥歯で噛みつぶしながら食べなきゃいけない。
とはいうものの、これは白ご飯にぴったりの1品である。
、、、、、、。
「ぎゃーーーーーーーーーー。」
そんでもって、
「助けてーーーーーーーーー。」
もひとつオマケに、、
「おえーーーーーーーーーー。」
やっぱり無理だ。
やっぱり、妄想だけでも身震いがする。
凡には、ゴキブリを食べるなんてことは、不可能だ。
たとえ、食べなきゃいけないような事態に陥っても、ゴキブリを食べるなんてことは、進んで選択することではない。
とはいうものの、これを進んでやっていこうと提案している人がいる。
それも、国連食糧農業機構(FAO)という、一応はちゃんとしたところが発信しているのだ。
(朝日新聞の切り抜き)
ここでは、ゴキブリに限定はしていないけれども、これから起こるだろう食糧危機を克服する1つの手として、昆
虫を食べるということもあるというのです。
世界では、日本を含めて、昆虫を食べるという事は、案外に普通に行われている。
日本でも、長野県や岐阜県などの中部地方で、蜂の子を炊き込みご飯にしたり、佃煮にしたりして食べている。
その他にも、ざざむしとかね。
凡が小学生の頃に和歌山市に引っ越したんだけど、その近所の人が「これ食べ。」といってイナゴの佃煮をくれたことがあった。
1つ摘まんではみたものの、中々口にいれるのに時間が掛かった。
カブトムシや、芋虫、蟻、バッタ、こおろぎなど、何でも世界で食べられている虫は、1400種類あるそうです。
考えただけで、ぞっとするよね。
それにしてもだ。
国連食糧農業機構なんて、大そうな名前を付けてるんだから、そこに勤めている人も、たぶん頭のいい人ばかりなんだよね。
だったら、どうして結論が昆虫にいくのかね。
もっとテクノロジーを駆使してさ、食糧危機でも美味しいものを開発しようよ。
それが自然な考え方だとは思いませんか。
とはいうものの、さっきのゴキブリだって、ほとんど全世界で食べられてきた過去があるようです。
それに、このゴキブリをペットにしている心を病んだ人も多いとか。
「ヘルプ・ミー!」
とはいうものの、昆虫を食べている人は、食べたいから食べているのであって、それを止めろとはいいません。
食べたい人は、どんどん食べてください。
よくテレビなどで、虫などのちょっとグロテスクなものを食べる習慣のある人を紹介するときに、作物が採れない地域の貴重なタンパク源だというナレーションがもっともらしく流れる。
でも、あれは違うね。
草木1本生えていない砂漠だったら話は違うけれども、大概の国では虫以外にも食べるものはある。
特に東南アジアなんか、温暖な地域なので、自然に植物も育ちやすいし、昆虫なんか食べなくても他に食べるものがある。
なので、それを食べなきゃタンパク源がなくなって死ぬから食べるんじゃなくて、食べたいから食べているのじゃないかと思う。
突き詰めれば、嗜好品である。
それを食べる人にとっては、すごく美味しい食べ物なんだろう。
そうじゃなきゃ、食糧事情がよくなった現在も食べ続けている理由がなくなる。
それにしても、どうしてこんなに虫がきらいなんだろう。
凡は、海や山はすきだけれど、どこかに得体のしれないものが隠れてるんじゃないかって思うと、こころの底からリラックスできない。
コンクリートで出来た空間でね、プラスチックの椅子に座ってさ、みゆきさんの歌を聴く。これがリラックスっていう
ものだ。
「人工物に、乾杯!」
スライスハムをあてにして、
冷たいカンパリソーダを飲み干した。
ハムの赤い色は、コチニール色素というカイガラムシから取った赤色の色素で食品にもよく使われている。
カンパリソーダも、今は使っていないけれど、2007年まではコチニール色素で赤い色をつけていた。
形が判らなくなってしまえば、虫でも食べられるんですね。
凡も、いい加減なものでございます。
でも、虫っていうのは、どうしてこうも嫌いなのだろう。
(そのうちに、こんなハンドブックを家族で開いてさ、あ、この虫美味しそうなんてやるのかな。)
この記事へのコメント
ゴ、の字も 発したくないくらい おぞましさ!!
なので、うちでは…
「こきちゃん♪」と、
かわゆさそうに 呼んでみても、やっぱ、
向かうと だめだ
何しろ、軽井沢には、
やつは… 存在してないからね♪
都会に出るまで、TVでしかみてない。
だから、夕べ出没した
タランチュラ級の蜘蛛なんか、冷静に退治できた。
この虫の ニュースは 見ましたね♪
やっぱ いけるょね♪
この 美味を 知らない人はかわいそう
と、思ったのは やはり 長野県人など多い?
しかも、自ら 採取するのが 旬。
綺麗な自然を食べた虫だから、体にも健康食だべさ。
それと、稲を喰われる前に… 蜂に刺される前に…
喰うか喰われるかの、命懸けの サバイバル生活とも云える~。
いなご、は
ごまめの、佃煮より香ばしい。虫と思ってないね♪
肴になる。お試しあれ♪
捕まえた時は、いなごの歯ぎしりしたかも♪だけどね
軽井沢にはゴキチャンは、いないなんて始めて知りましたよ。
それだけでも、軽井沢に住む意味があるよね、それだったら。
なんて書いてると、想像しちゃって震えがきちゃう。
そうなんだよね。
うかれぶたさんも、虫食べるんだ。
うわー。
香ばしくて肴になるって、、、
それは絶対に二日酔いになっちゃうよ。
私は、やっぱり、ごまめの歯ぎしりで、一杯やりますね。
ん?
これは食べられませんか。