散散歩歩。(424)日本人らしく。

休みの朝に、何気なくテレビを見ていると、街をぶらぶらと歩くという関西で放送している番組の中で、居合を教えているという方が紹介されていた。

何でも、日本人らしさということを聞かれて答えに窮したことから居合道を始めたそうだ。

素晴らしい。

日本人らしいということは、どういうことなのかという自分自身への問いの答えが居合道に至ったという、こういう思考の経路をたどれる人は素晴らしいと思う。

その素晴らしいには、少しばかりの皮肉も入っているんだけれど、実際にそういう考え方が出来たら楽だろうなとは、これは本当に思う。

生まれながらになのか、環境のせいなのか、子供のころから天邪鬼の凡には、そんなことは考えつかない。

だってさ、居合道だよ。

そもそも居合道には刀が必要な訳で、刀というものが出来る前の日本人は、始めから無視されてる。

それに、刀を携帯できる人というのは、武士という、これまた1部の人であるわけで、農民や商人という大多数の人を、これまた無視をしているのである。

それにそれに、居合道という抜刀術から発したものは、意外にも武道の中でも少数派なんじゃないだろうかと、これは素人考えだけれど思うのであります。

ただ、この場合の居合道はこの際横に置いといて、日本人らしさということは、何なんだろうという問いは、凡もこの時に自分自身に問われたようで、考えてしまう。

日本人らしいということは、まず日本人という人種の概ね皆が持っている考え方や性質を、象徴的に多数決的に表した言葉なりイメージなり、行動の元になる考え方であるということになるだろうと思うのですが。

じゃ、日本人って何かというと、さあ困ってしまう。

北海道から沖縄までの地理的な物差しで考えると、これはイメージだけれど、今は東京も北海道も沖縄も同じような文化になってしまったけれど、もともとは、北海道や沖縄は少し文化が違うように思う。

それに昔むかしは、それぞれの土地でそれぞれの人々が暮らしていたわけで、それを権力の欲しい人たちが、どんどん自分の領地だと言って縄張りを広げていったわけで、その広げられることの出来た範囲が日本ということになる、ということも言えるのじゃないだろうか。

その点、日本は島国で分かりやすい。
日本が大陸にあったら、その境界線で、あと100メートルは日本だよとか、いやいや日本はそこより50メーター後ろだなんてさ、いつも境界線を決めなきゃいけない。

窮屈だし、もめ事が多くなりそうだ。

だから境界線なんて引くことは止めた方が良い。
線を引くことで利益を得る時代は終わりにして、線を消すことでお互いに利益を得ることのできる新しい世界が出来て欲しいなと思う。

新しい価値観の世界。

そんでもって、そんな話も少し横に置いときまして、日本人らしさだ。

日本人らしさと言うと、勤勉実直、真面目、細やかなことが得意、控えめなんていう言葉が思い浮かぶ。
そんなイメージを皆が持っていると思う。

そして、凡もそういえばそうだなあと思う。
それが日本人らしさなんだろう。

とはいうものの、「らしさ」という言葉が嫌いなんです。

そこには、こうでなくちゃいけない、こうあらねばいけない、という無言の圧力を含んでいるから。

男らしさ、女らしさ、学生らしさ、子供らしさ、そして日本人らしさ。

何かの型にはめようとする誰とは分らないコミュニティーの表には表れない複数の視線。

窮屈だ。

それにさ、日本人らしさって時代とともに変わるものね。

縄文時代の日本人らしさ。
平安時代の日本人らしさ。
江戸時代の日本人らしさ。
明治時代の日本人らしさ。

そして、平成の日本人らしさ。

「らしさ」というからには、どちらかというと日常では、良い性質のものを指すと思う。

日本人の他の外国に比べて誇れるもの。

昔は、勤勉で真面目だったかもしれないけれど、今の日本はそうでもない気がする。

だったら、誇れるものも変わっているかもしれない。
誇れるもの。

オタク文化。

これは世界の先端を行っている。
アニメ、アイドル、漫画。

もう10年もしたら、こんなことが日本人らしいということになるのかもしれないね。

お母さんから、「あんた、日本人やったらアニメ見やなアカンやろ。」なんて、叱られたりね。

外国人から「どうして日本人やのにAKBのメンバーの名前言えないの。シンジラレナーイ。」なんて言われる時代がくるのかもしれない。

それはそれで、また「らしい」を意識しなくちゃいけない窮屈な時代でもあるのかもしれないね。

「らしい」は、つらいよね。

だからね、日本人らしいということを考えるんじゃなくて、「らしい」という言葉を、日本語から無くすことを考えなきゃ。

日本人だから、それだけでいい。
まあ、日本人である必要もないのですが。

ついでに言うと、凡が昔から嫌いなことば「自分らしく」。

これって、どういうことなの。

自分自身が一体何なのかを解っている人っているのだろうか。
誰も自分の性格も、何をしたいのかも、これからどうやって生きて行くのかも分らないよね。

なのに、何も解らない自分らしくなんて、どうらしくなの。

凡らしくっていってもね、考えてみるとさ。

だらしなくて、
意気地が無くて、
卑怯で、
優柔不断で、
怠け者で、、、、。

そんな凡なのです。

だから「自分らしく生きればいいんだよ。」なんて言われても、

「もう、そんな風に生きてるちゅーねん。」と叫びたくなる。

泣きたくなるよ。

「自分らしく」でなくても、ただ「自分」であるだけでいい。

そういう風にしか生きられないものね。
ただ、生きていれば、それで自分らしくなのであります。

ということで、話がフラフラで夢遊病のようでありますが、これが凡らしいということでございます。
ご めんなさい。
(ぺこり)

各記事の下部にあります
アマゾンの「キンドル版 凡蔵。おすすめ選書」ですが、
現在、リンクは中止しております。

「悩み多きブッダたち」

「アルカディアのレフュジー」
(中島みゆきさんの影をさがして)

は、販売中止しました。

買っていただいた方には、
本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

ごめんなさい。
(ぺこり)

各記事の下部にあります
アマゾンの「キンドル版 凡蔵。おすすめ選書」ですが、
現在、リンクは中止しております。

「悩み多きブッダたち」

「アルカディアのレフュジー」
(中島みゆきさんの影をさがして)

は、販売中止しました。

買っていただいた方には、
本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。