散散歩歩。(967)ラストツアー「結果オーライ」大阪フェスティバルホール編。

2月26日(水曜日)。
中島みゆきさんのラストツアー「結果オーライ」の大阪公演の日だ。
フェスティバルホールでの公演なので、ゆっくりめに自宅を出た。

まずは、インデアンでカレーのルー大を食べる。
いつだったか、フェスティバルホールのケータリングが、インデアンだったようで、かれーでも食べて、気分をアップさせようということであります。

IMG_0862.jpg

んでもって、会場に移動。
目の前に広い赤い絨毯の階段がある。
これだけで、気分が高揚してくるのを覚えた。

知っている人がいるかなと思って見渡すが、CDやグッズの列がギュウギュウ状態なので、一旦その場を離れて、ブラブラしていた。
それでも、何人かのツイッターをされている人と御挨拶をさせて頂き、お土産などを頂く。
凡も何か持ってくれば良かったかと思った。

などと、書き始めたのですが、今回は、凡的に2つの大きな出来事があったので、少しばかりコンサートの事は、端折りつつ書いておこうと思うのであります。

ということで、それほどネタバレ的な事はないとは思いますが、スクロールしていただければと、もしお付き合いいただけるのであればね。
お願いします。


















ということで、その大きな出来事の1つ。
今回のチケットは、夢番地の有料会員で取ったものなのですが、夢番地との相性が良いのか、1階の2列36番という夢のような席だったのです。
他の人には、どうでもよいことかもしれませんが、凡的には、大きな出来事なのです。

会場に入って、席に座る。
これなら双眼鏡を遣う必要もないだろう。

というより、この距離で双眼鏡を遣うのは、どう考えたって、女性のみゆきさんに対して、するべきでないだろう。
まあ、もちろん、アップで見たいと言う、一種のスケベごころみたいなものはあるけれどね。

36番と言うのは、通路の横だ。
しかも、席の配置的に、後がいない。
これだけでも、最高の席だ。

そして、目の前を見ると、ステージに、印がしてあるのが見える。
そういえばと、金沢のコンサートを思いだした。
途中で、お便りコーナーというのがあるのですが、今回はそれが2回あって、後の方で、この印の場所にきて、みゆきさんがお便りを読むのです。
その距離、おそらく3メートルぐらいか。
今から、ドキドキである。

さて、ブザーが鳴ってコンサートが始まった。
今回もまた、みゆきさんは、それはそれは、美しく。

前回も書いたが、1幕の淡い花の刺繍のアオザイ風ドレスが、可愛いのって、もうこれは絶対に、写真が欲しいところだ。
1曲目の「一期一会」が終わって、みゆきさんのMCが入る。
そして、喋った後に、笑った。
もうダメだ。

目尻を思いっきり下げてさ、やや斜め上を向くね。
それも正面じゃなくて、凡から見て、やや右上だ。
んでもって、口を開けるさ。
その時、あれは2秒ぐらいあっただろうか、そのままの状態で止めたんだよね。
神業だ。
あれは、きっと、観客に自分の笑顔を見せるために、いわゆる、サービスだったに違いないと思うのであります。
あの2秒で、どれだけの人のこころ掴んだか。
とにもかくにも、凡の心は、ウットリとした脱力感とともに、掴まれてしまったのだ。

そして、あれは確か「浅い眠り」の時だったか、(違ってたらゴメンナサイ)みゆきさんが、歌う時に、右手を胸の上をクロスさせて左肩に、そして、左手を、お腹のあたりをクロスさせて右腰に当てて歌ったんだ。
両手で、みゆきさん自身を抱きしめているかのようなポーズ。
あの、しなやかな肉体の曲線美に、凡はドキリとした。
美しいみゆきさんを、美しいいみゆきさんの腕が包み込む。
しかも、その腕がまた、シースルーときたものだからさ、思わず歌を聴くのも忘れて、じっとみゆきさんを見ていた。

そうだ、ポーズもまた、美しいけれど、みゆきさんの動きもまた、可愛い。
「流星」の時だったか。
車のナンバープレートの地名を歌う時、軽く足踏みするような、歩いているような、足のステップを踏むんだよね。
あれが、可愛いのなんのって、思わず見とれちゃった。

そうだ、歩くようなステップといったらさ。
みゆきさん、結構、足を開いて歌うことも多いんだけれど、まあ、あれはまたあれで、カッコイイんだよね。
それもカッコイイんだけれど、アンコールの「人生の素人」とか、「土用波」の時かな、両腕を前で組むときもあるし、組まないときもあるんだけれど、その時の脚は、割と両脚真っすぐに立って、ちょっと、これまた歩くような感じで、膝を軽く左右に曲げてステップを踏むような動きをするときがあるんだ。
あれは、また可愛いんだな。

そんでもって、そんなステップと言えば、足だ。
今回、2列目という近い位置からみゆきさんを見ていて思ったことがある。
歌いだし、特に、力強い歌の時なんか、さあ、歌うぞという時に、足が一瞬、すばやく動くんだ。
まあ、声には出さないけれど、何となく「よし!」とか、「さあ!」みたいな、一瞬
、足で勢いをつけて歌いだすみたいな、そんな足の動きがあるんだ。
足で地面を踏み込むみたいなね。
この場合、脚ではなくて、足って書いたのは、なんか脚全体というよりも、足の裏、もしくは、足首、というか、ハイヒールを履いた足に力が入っているように見えたからだ。

というか、凡は、みゆきさんのハイヒールの足ばかり見てたのかな。
そんな動きが気になった。

これがどういうことを言いたかったかと言うと、それだけ、歌う時に、みゆきさんの全身の力を込めて歌っているんだなと言う事なんです。

みゆきさんは、どんな歌い方をするのかなと思うことがある。
口だけで歌う。
腹から声を出す。
じっと身体を固定できないぐらいに、全身から歌を発する。

みゆきさんは、色んな歌を、色んな歌い方で歌える女性だ。
なので、今まで曲に合わせて、口だけとか、腹からとか、そんな歌い方を変えている。
夜会の時なんかは、座ったり、奇妙な?格好で歌たりするのは、あれは、よほど腹に力を入れないと歌えないんじゃないかなと思っていた。

でも、今回のコンサートでは、想像以上に全身で歌っているんだなと、これは素人の凡でありますが、そう思った。
たとえが悪いかもしれないが、その歌い方を見て、ローリングストーンズのミック・ジャガーの身体の動きを連想した。

あの動きを間近で見られて、みゆきさんの歌を身体で感じた気がした。

とはいうものの、みゆきさんは、ステージの上で、歌う人。
そして、みんなに見られる人。
それに対して、凡は、みゆきさんを眺める人。
んでもって、誰にも見られず、みゆきさんにも認識してもらえない人。
あまりにも、違いすぎる。
そして、接点のなさに絶望する。

絶望の中に、救いがあるとするならば、それは孤独でいられるかどうかだ。
人は、孤独に耐えられなくなった時に、絶望のために死を選ぶのだろう。
まあ、凡には、そんな死を選ぶ勇気はない。

それなら、せめてみゆきさんを、この身体で、この感覚で、感じてみたい。
たとえ、触れることが出来なくても、みゆきさんを感じることができるはずだ。
今、ステージの上にみゆきさんがいる。
この同じ空間に、みゆきさんが確かにいるのだ。
空間的に離れてはいても、みゆきさんと同調したい。

肉体のリズムが、同調すると、その二人は共鳴を起こして、精神的にも同調すると言うことを聞いたことがある。
とはいうものの、みゆきさんの心臓の鼓動に、凡の心臓の鼓動をシンクロさせるなんてことは、凡には無理だ。
せめて、呼吸だけでも同調させたいと、みゆきさんが、歌うのに合わせて息をしてみたが、この凡の身体と来たら、すでにガラクタとなり果てて、息が続かない。
息を合わせることは、30秒で諦めた。
よくもまあ、あんなに見事に、みゆきさんは、ブレスをコントロールできるのだろうか。

やはり、どんなことをしても、凡が、孤独であることには、かわらないのかもしれない。

凡は、唇を噛みしめて、孤独に耐えながら、ステージの美しいみゆきさんに見入っていた。
すると、2回目のお便りコーナーになった。
みゆきさんが、ステージを降りて、凡の目の前にやってきた。
その距離、およそ3メートル。

目の前に、みゆきさんがいる。
それだけで、頭の中が真っ白になる。
んでもって、その真っ白な頭でもって、みゆきさんをジロジロみる。

前回、金沢でみゆきさんが、ふっくらとしたと書いたかもしれないが、今日間近で見ると、かなり痩せているようにみえる。
でもまあ、痩せたみゆきさんも、これまた美しい。

お便りコーナーの紙を持つ手の血管まで愛おしいんだな。
そして、ジロジロ見た結果思ったのは、みゆきさんは、頭ちいさいですね。
というか、小顔。
もう、あの小顔で喫茶店なんかで、向かい合って座ったらさ、もう、まともにみゆきさんの顔なんて見れないよね。
可愛くてさ。

んでもって、色が白い。
首のところや、顔の化粧の乗っていないところなんて、白くて透き通るように見える。
あれは、そんじょそこらの白じゃないね。
雪の白さよりも、清らかで、優しくて、凛としている。
あの肌に触れることが出来たら、もう、どうなっちゃうのだろう。
グニャグニャのクネクネのトロントロンになっちゃうね。
それでも、凡は孤独なのだろうかね。

ということで、今回の2つの大きな出来事の1つがこれなんだけれど、書いていて、どうにも心ここにあらずの凡なのであります。
自分でも何を書いているのか摩訶不思議。

というのも、みゆきさんを近くで見ることが出来た感動で、もう思考回路が、おかしなことになってしまってる訳でありまして、一体、この状態がいつまで続くのでしょうか。

まあ、凡は、物忘れがひどいので、その内また、もとの凡に戻るのではないかと思うのであります。

んでもって、もう1つの大きな出来事が、今、ツイッターでも話題になっている、今回のコンサートの中止のことだ。

フェスティバルホールに入場して、ツイッターをしている人から聞いたのだけれど、コロナウイルスの対策のひとつとして、今回の結果オーライの大阪公演の28日、29日の2日間と、3月の名古屋公演の2日間の、合計4日間のコンサートが中止になった。

その後の、公演については、まだ未定だそうだ。
それを聞いて、遂に、そうなったかと思った。
ひょっとしてと思っていたからだ。

それにしても、他の大阪公演に参加しようとしている人には、これは大変申し訳ないけれど、26日は、実施されて良かったと思った。
これが、当日にフェスティバルホールに来て、中止なんてことになったら、もう悲しすぐるでしょ。

そんでもって、26日に発表されての、26日のコンサートだから、みゆきさん、何か言うかなと思っていたら、「慕情」を歌った後に、みゆきさんからのメッセージがあった。

細かい言葉は忘れてしまったけれど、国の通達によって、やむなく大阪の明後日と、その次の日の公演を中止するという。
何となく、みゆきさん自身も悔しそうな表情で説明された。

そんでもって、こんな怖い病気が流行ったりしたら、パニックになったり、人を押しのけて我さきとなってしまう。
そんな時、私が心配するのは、心優しい人が、他人に譲り過ぎて倒れてしまう事だという。
だから、自分自身を大切にしてほしいという内容だった。
(内容が、違ってたら、ゴメンナサイ)

それを聞いたら、もうダメだ。
涙が頬をつたった。

んでもって、その後の曲が、「誕生」だよ。
もう、歌を聴いていられないぐらいに、涙が止まらなかったよ。

というか、よくも、みゆきんさん、人を泣かせておいて、自分だけ、そんな風に歌えるねと、恨みさえしちゃったじゃない。

それにしても、28日、29日と、それと名古屋公演を楽しみにしていた人は、さぞかし残念だろうね。
それに関しては、本当に同情しかない。
凡だったら、耐えられないだろうな。

しかし、コロナウイルス拡散防止のためといってもさ、コンサートを中止にするなんて、無意味だと思うのであります。
どうにも中途半端だ。
これは、みゆきさんに言ってるのじゃなくて、政府に言いたいんです。

日本の人口から見たら、コンサートに来る人の割合なんて、微々たるものだ。
勿論、コロナウイルスの感染力は脅威だ。
でも、コンサートや、スポーツ観戦だけなんて、「こんな発表していれば、世間の目も、何かやっているというイメージになるだろう。」みたいな、そんな感じに思えて仕方がない。

それよりも、日常の生活を制限するべきなんだ。
スーパーなどにも、人は溢れているよ。
食べるものだから、毎日スーパーに行くだろう。
んでもって、商品を手に取って、また棚に戻す。
そんなこと、毎日続いているよ。

梅田や難波に出てみても、人が溢れている。
毎日、仕事で、何人の人に会っていると言うのか。
百貨店の店員なんか、何十人と接客している筈だ。
それが、2週間続いたら、何千人になる。
店員1人で、コンサート会場分の人数と接客するのと同じじゃない。
百貨店の店内に、店員は、50名ぐらいはいるよね。
いや、もっといる。
接客数、かけることの、店員の数、イコール、メチャ多いということだ。

他の仕事をしている人も、日々、かなりの人と接触しているし、移動もしている。

中途半端なんだ。
どうせ、感染防止を徹底するなら。
戒厳令でも敷いてさ、国民全員、外出禁止にすべきだろう。
そりゃ、批判もあるだろうけれど、それぐらいしなきゃダメだ。

その間に、政府は、検査キットを、医療機関に頼らず、独自に国費でもって大量に購入したり、国内で生産したりすることだ。
そして、熱があったら、様子を見るんじゃなくて、熱があったら、兎に角、検査という体制にしなきゃだよね。

などと、恨み節を書いてみたりはしたけれども、凡には、何も力が無いので、書いたところでどうなるということもない。

それにしても、今回の結果オーライの公演の中止は、ファンも悔しいだろうけれど、みゆきさんもまた、悔しいだろうね。
それを思うと、みゆきさんにエールを送りたい。

これから、凡は、3月に札幌のチケットを確保している。
或いは、この札幌の公演だって、中止になるかもしれない。

でも、それは諦めるしかないのだろう。
諦めきれない気持ちだけれどね。

兎に角さ、凡は、みゆきさんに惚れちゃった訳で、その惚れたみゆきさんが、考えて中止だって言うんだからさ、それに協力しなきゃだよね。
そこが惚れた弱みというものなのかもであります。

ということで、そんなことを言っている凡でありますが、何としても北海道の公演は実現して欲しいのであります。

んでもって話は変わるけれど、今回のコンサートは、余裕を持ってみようと思っていた。
金沢の公演は、もう必死になって、みゆきさんだけ見て、終わったら、何にも思いだせないということになった。

今回は、リラックスして見ようと決めていた。
なので、みゆきさんが歌ってない時などは、コーラスや、ストリングスの方を見たりね。
で、ふと見ると、牛山玲名さんが、バイオリンを弾いていた。
その表情が、何か微笑んでいるようだ。
素敵でした。
みんな、みゆきさんしか見ていないステージの演奏で、そこで微笑みながらバイオリンを弾く。
同じバイオリンでも、無表情で弾くのと、微笑みながら弾くのとでは、きっと音が違うのではないかと素人の凡は考えるのであります。
まあ、実際は分からないのでありますが、とにかく、目の前にいる玲名さんは、素敵だったな。と、思った次第であります。

それと今回は、コーラスには、あまり目が行かなかった。
実際のところ、みゆきさんだけ見れればいいのですが、それでも、夜会とかで石田匠さんや宮下文一さんなんかを見ているので、ちょっとだけ、コーラスの人を、イジル時間があっても良かったかなとも思ったかな。
とはいうものの、みゆきさんだけ見たいんだけどね。

ということで、どうにも、だらしのないレポートになりましたが、付き合ってくださったことに感謝です。
今回は、みゆきさんを近くでみた熱病と、公演中止のみゆきさんのコメントで、自分が自分でないような、そんな気持ちがまだ続いておりまして、長々と書いてしまいました。
ありがとうございました。

あ、そうだ。
これも書いておこう。
コンサートが終わって、出待ちをした。
やっぱり、フェスティバルホールの出待ちは、ほぼ見えない。
ただ、かなり黒っぽいスモークの後ろで、かすかに白いものがヒラヒラと揺れていたので、或いは、あれがみゆきさんの手のひらだったのかもというぐらいだった。

んでもって、その後、ツイッターをしている女性2人と、フェスティバルホールの地下のビアパブみたいなお店でビールを飲む。

両手に花の凡は、いささか浮かれ状態で、みゆきさん話にテンションが上がった訳でありまして、とにもかくにも、楽しい時間を過ごしたのでありました。

まあ、それがあまりにも嬉しかったのでありましょうか、乗る電車を間違ってしまい、門真市を通り過ごして、枚方まで行ってしまいました。
急いで引き返したけれども、寝屋川行きが最終。
そこから、タクシーで自宅に帰ったのであります。
まあ、枚方とかからタクシーでなくて、良かったです。

その内、女性がいてもクールに決められる凡になりたいなあと、お月様にお願いしたのでありますが、お月様が笑ったような気がした。
ご めんなさい。
(ぺこり)

各記事の下部にあります
アマゾンの「キンドル版 凡蔵。おすすめ選書」ですが、
現在、リンクは中止しております。

「悩み多きブッダたち」

「アルカディアのレフュジー」
(中島みゆきさんの影をさがして)

は、販売中止しました。

買っていただいた方には、
本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。



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