散散歩歩。(1004)フェスティバルホール「縁会」上映会(1)

宇奈月温泉の旅のレポートを書き始めたところなんですが、今日は、これを書かなくちゃ。

フェスティバルホールでの、中島みゆきさんの「縁会」劇場版の上映会。
行ってきましたよ。

チケットについては、もう発売の初日にゲット済だ。
どうせ休みなんだからと、11時と15時の2回連続で、みゆきさんにウットリしようという計画だ。

ということで、8月28日(金曜日)であります。
1回目は、少しで遅れて、開演15分前ぐらいに到着。

フェスティバルホールの赤い絨毯の階段の下に立つと、それだけでテンションが上がる。
その階段を1歩ずつ踏みしめながら、、、と行きたいところですが、そこは年齢を考えてエスカレーターで上る。

フェスティバルホール絨毯.jpg

ガラスの扉が並んだ左側から入場。
まずは、検温、アルコール消毒。
それからチケットのチェックになるのだけれど、確か3レーン用意されていて、各入場口に綺麗なお姉さんが立っている。
この辺、コンサートと同じようなやり方になっているので、自然と嬉しくなる。

そして、長いエレベーターで1階席に移動。
小さいながらもCD販売のブースとグッズのブースがあった。
いや、この辺りも、テンションが上がるところだ。

とはいうものの、広いロビースペースは、ガラリとしていて、少しばかり寂しいような、でも、それだけ贅沢な空間を貸してもらっているようで。

さて、席に移動しよう。
中に入ると、まず、会場の最後列のところに、音響をコントロールする機械が置かれている。
ただの映画上映だと思っていたので、これはどういう仕組みなのだろうかと、嬉しくもまた、不思議に思った。
これで音をコントロールするのだろうか。
まさか、コンサートの気分を演出するためのダミーとか。

フェスティバルホールブース.jpg

1回目の上映は、14列の36番だ。
ちょうど通路を背中にした、中央部分の右端の席である。
席は、1席ごとに間隔を取ってある。
隣の隣は、優しそうな男性だった。

座って待っている間、目の前のステージに掛けられた緞帳を見ていた。
ここが、映画館ではなく、フェスティバルホールであることを実感させてくれる存在。

緞帳には、豊臣秀吉の時代の大阪城下が描かれているのだけれど、ひょっとして、職人さんか、製作者に、みゆきさんのファンがいて、遊び心で、この緞帳の沢山描かれている人物の中に、みゆきさんを描いてやしないかな、なんて思ってしまう。

町娘か何かの格好でね、堀の横の柳の下で、大根マイクにして、着物の裾をヒラリと翻して、白い脚見せてね、んでもって歌って踊ってるんだ。
見つけた人だけが、大笑い。
いや、大笑いとは失礼か、ウットリというわけだな。
とまあ、そんなことも考えてしまうのは、少しばかり浮かれているせいかもね。

ステージの上には、両端にスピーカーが直置きされている。
これが、なかなか良い音をさせてたのですが、そうなると、あのコンサートの何台も設置されているスピーカーは、そのコンサート用に設置されたものだったのだろうか。

それなら、こっちの両端のスピーカーだけの方が、音割れもしないし、会場全体に平均に音が響く気がしたな。
まあ、これは素人の感想ですが。

全体を見渡すと、席は、いわゆるガラガラだ。
見るものとしては、非常に贅沢であるけれども、これを企画した人にとっては、もっと席が埋まって欲しいだろうなと思う。

場内には、みゆきさんの曲のインストゥルメンタルが流れている。
テンションが高いような、ゆっくりと寛いでいるような、そんな状態で待っていた。

そして、いよいよ上映が始まった。
緞帳が上がって、スクリーンが見えて、縁会の文字が映し出される。
そのスクリーンの大きさに感動した。

最近の映画館は、どうも小さな劇場が多くて、当然、スクリーンも小さい。
あれは、どうもイケマセン。
名画鑑賞会なら、それでも良いが、ロードショウなら、大画面じゃなくちゃ。
若者の映画離れは、それが原因かもしれないよ。

ということで、フェスティバルホールのスクリーンは、ステージいっぱいに、広がっている。
素晴らしい。
これでこそ、映画の醍醐味を味わうことが出来るというものである。

スクリーンに、縁会の文字が映し出されて、みゆきさんのステージが始まった。
そして、みゆきさんが、映し出される。

ああ、美しい。
何といっても、びっくりしたのが、スクリーンいっぱいに、みゆきさんが映し出された時だ。
こんな大きなみゆきさんを見ることが出来るのは、ここフェスティバルホールだけだろう。
その大きなみゆきさんを、ウットリして見ている。

しかし、大きなみゆきさんを見ながら、「こんなことをして良いのだろうか。」と、(軽く)自問していた。

凡は、今、みゆきさんの顔を、食い入るように見ている。
ジロジロと見ている。
時に、イヤラシイ気持ちで見ている。
そして、ウットリとして見ている。

果たして、男性が、女性の顔を、身体を、ジロジロと見ても良いものだろうか。
普通なら、ダメだろう。

例えば、みゆきさん本人が、目の前にいて、いや、それは無理だ。
みゆきさんが、目の前にいたら、気絶しちゃう。

普通の女性が、目の前にいて、その人の顔をジロジロと見ることがあるだろうか。
凡は、恥ずかしいので、その人を見ることが出来ないけれどさ。
しかし、もし、ジロジロと見たとしたら、見られている女性は、居たたまれなくなるだろう。

女性は、自分の鼻や、唇や、目や、頬や、そんな顔中を、ジッと見られるのである。
恥ずかしくて、普通の女性は、逃げ出してしまうに違いない。

見られたくないと思っている人を見るのは、イケナイことだ。
なので、見てはいけない。

でも、見られたくないと思っていても、こころのどこかで、見て欲しいという願望を持っているのかもしれない。
それならば、見なくちゃ失礼だ。

このあたり、女性に聞いてみたいところだけれど、どうなんだろう。

そんな自分の姿を、みゆきさんは、大いに見せているのである。
まあ、実際は、映像なので、見られても、みゆきさん自体は、他の場所にいて、見られていることを知らないのではあるけれども、映像を提供している時点で、見られることを覚悟している。
スゴイよね。

或いは、みゆきさん自身、みゆきさんの美しさに気が付いているのかもしれない。
自分は、美しいと。

でもまあね、そのぐらいの気持ちが無いと、ひとりステージに立って、あれだけのパフォーマンスは出来ないだろう。
いい意味の自信だよね。

或いは、見られることが、快感であるのかもしれないな。
「ああ、あたし、今、見られている。」なんてね。

「もっと、もっと、あたしを見て。そんなじゃだめ、もっと、ジロジロと見て。ほら、これがあたしの唇よ。ここは、わきの下。ダメ、目をそらせちゃ。うっふーん。」
なんてね、ちょっとしたエロティック小悪魔だ。

いや、みゆきさんは、そんなフシダラではない。
、、、はずだ。

それにしてもね、今、凡が見ているスクリーンの中のみゆきさんは、ちょっと違うんだ。
フェスティバルホールのステージの上から下まであるスクリーンに、大きく映し出されたみゆきさんなんだ。
かなりデカイみゆきさんなのである。
等身大のみゆきさんじゃない。

普通の女性なら、あれだけ、自分の顔を拡大されたら、見られたもんじゃないよ。
いや、本人が、見られたくない、見られたい、という気持ちを抜きにしてね。

もう、実際の自分が、スクリーンいっぱいに拡大されるんだ。
顔のアップの時なんか、凡の身長の4倍ぐらいの大きさに映し出される。
ちょっとや、そっとの美人じゃ、耐えられない大きさだ。

どんな可愛い子だって、あれだけの大きさに拡大されたら、もう醜悪の一言に尽きるだろう。
スクリーンいっぱいに、その女性のアラが映し出される。
それを見ている側も、見られる女性も、どっちにとっても、悲劇である。

それが、みゆきさんと来たら、違うんだな。
あれだけ大きく映し出されても、美しいんだ。
これが美というものの本質だろう。

どれだけ拡大しても、どれだけ縮小しても、美しさに変わりがない。
それが、美しいと言う事だ。

しかし、あれだけ大きなスクリーンに映しても、コマ落ちとかしないのは、余程の情報量のあるメディアなんだろうね。
自宅にあるブルーレイの何倍もの情報が詰まっているのかな。
ちょっと、そのデータが欲しくなった。

んでもって、凡は、そんなスクリーンに映し出されたみゆきさんにウットリと見入っていたのであります。

みゆきさんの唇。
みゆきさんの鎖骨。
みゆきさんのわきの下。
みゆきさんのピンヒールの足先。
、、、どうも、凡は、みゆきさんのデリケートな部分が好きなようであります。

しかし、今考えてみると、やっぱり凡は、みゆきさんの才能よりも、その才能から生み出される歌詞や旋律よりも、みゆきさんの肉体が好きなんだなあと思う。

みゆきさんの顔や、身体や、その身体が表現する動きや、声や、そんなのが好きなんだ。
でも、それで良かったと思っている。
歌手の中島みゆきさんが好きなのじゃなくて、普通に街にいる中島みゆきさんが好きなんだ。

だから、恋が出来る。
凡自身でさえ、手が届くはずがないと思うみゆきさんに恋が出来る。

もし、凡が、みゆきさんの才能が好きなんだったら、みゆきさんを尊敬することしかできないだろう。
恋するなんて無理だ。

それにしても、みゆきさんの肉体は、美しい。
それは、それは、美しい。

神様は、人間に肉体という容れ物を与えた。
この肉体という容れ物は、病気になったり、ケガをしたり、或いは、見た目がカッコ良かったり、悪かったり、なかなか、厄介なものである。
時間が経つほどに、衰えていくしね。

でも、こと、みゆきさんを見る時、凡は、神様が肉体というものを人間に与えてくださったことを感謝せずにはいられないのである。

だって、みゆきさんを見ることが出来るんだもの。
まあ、触れることが出来ないのは、仕方ないと諦めるしかないけどね。

ただ、神様も、もうちょっと考えて欲しかったよ。
折角、肉体というものを作ったのに、それぞれの人間を、別々の見た目で作ったことだ。

カッコイイ人もいるし、悪い人もいる。
綺麗な人もいるし、そうじゃない人もいる。
だから、人によって好みというものが発生してしまうのだ。

その好みが原因で、今日もまた、あっちこっちで、好きだの、好みじゃないだの、あっちがいいとか、フラれたとか、そんな揉め事が起きている。
みんな見た目で恋をして、右往左往しているのである。

考えて見て欲しい。
最高の女性を1パターン作ったなら、もう、そんな揉め事が総て解決するじゃない。
世界中の女性を、全部、みゆきさんの見た目で作っちゃえばいいんだ。
女性は、みんな、みゆきさんなんだ。
素晴らしい世界じゃないか。

それなら、まだ、凡も、みゆきさんと付き合える可能性は、ゼロから数パーセントアップするだろう。
ただ、出来るなら、男女比を、男性1に対して、女性5ぐらいにして欲しいな。
すべての女性がみゆきさんであっても、まだ、みゆきさんに愛してもらえる自信はもてない凡の為にね。

世界中の女性が、みゆきさんなら、すべての男性は、きっと幸せに暮らせるだろうし、この世から争いなんて消えてなくなるだろうね。

ああ、神様を、恨んだり、感謝したりと忙しいが、まあ、それは現実にはありえないか。

ということで、みゆきさんのフェスティバルホールの縁会の上映会の事を書き始めたのですが、そして、まだまだ、みゆきさんの魅力について語りたいところですが、今日は、この辺で止めておかなくちゃであります。

何故なら、今日は、8月31日(月曜日)でありますが、これからまた、フェスティバルホールに行かなくちゃいけません。
中島みゆきさんのコンサート「一会」の上映会があるからです。
ということで、これから行ってきまーす。

んでもって、この続きは、また後程。
んでもって、宇奈月温泉の旅のレポートも、これまた、その後の後程ということで。

ああ、今日もまた、みゆきさんにウットリしちゃうんだろうな。
ご めんなさい。
(ぺこり)

各記事の下部にあります
アマゾンの「キンドル版 凡蔵。おすすめ選書」ですが、
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「悩み多きブッダたち」

「アルカディアのレフュジー」
(中島みゆきさんの影をさがして)

は、販売中止しました。

買っていただいた方には、
本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。



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