散散歩歩。(894)浜松に来てしまったの旅。青春18きっぷ。(1)

7月31日(金曜日)。
青春18きっぷの3つ目のスタンプの日帰り旅であります。

今回は、時刻は、あまり気にせずに、乗って行こうと思う。
名古屋を抜けて、浜松あたりまで乗ろうかなと思っているので、まあ、本数も多いからね。

まずは、京橋駅で、3つ目のスタンプを押してもらって、入場。
そのまま、大阪駅に出た。

んでもって,0722頃発の、米原経由、近江塩津行きに乗る。
時間帯もあってか、満員だ。
まあ、京都で座れるだろうと思っていたら、それがなんと、座れたのは野洲だった。

そのまま、米原駅まで移動した。
ここで、30分の時間があったので、ホームの駅そばに向かった。
以前に、ツイッターをしている人からススメテ貰った駅弁を買うためである。

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すると、駅そばは閉まっていて、貼り紙がしてあった。
閉店のお知らせだ。
悲しい。
最近は、ホームの駅そばは、衰退の一途をたどっている。
特に、JRの地方の駅は、そうだ。

ホームの立ち食いそばはね、旅を続ける人にとっては、オアシスのようなものなんだ。
別に、ものすごく美味いというわけじゃない。
でも、無いと、すこぶる落ち着かない。

凡は、何十年も海水浴に行って無いけれども、海水浴に行って、んでもって、海の家に入って、おでんもビールもなかった時のようだ。
「あれれ。」と思いながら、手をブラブラさせるしかない。
どうにも所在の無い感じなんだ。

でも、閉店してしまったものは、仕方がない。
何度か、このお店を見て来たけれども、まだ実は、そばを食べたことが無かった。
駅弁は買ったことがあるけれどもね。
最後に、そばを食べておけば良かったな。
というか、これだから、閉店するのか。

今回は、駅弁を買おうと思っていたので、階段を上がって新幹線の乗り換え口近くの小さな台を出して、そこに駅弁を広げているブースに行った。
ちょうど、今から販売を開始しようとしていた時だった。
お姉さんに、駅弁があるか聞いたらあるというので購入。

「湖北のおはなし」
写真を撮って良いかと聞いたら、パネルを立ててくれた。
優しいね。

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それをホームに持って行って、そこで食べる。
なかなか、高級感のある駅弁だ。

まず、風呂敷で包んであるので、それを剥がす。
すると、すだれで巻かれた本体が現れるのだ。
さて、御簾の向こうには、どんな高貴なご婦人が座っているのだろうか。

まずは、豆ごはんを一口食べると、おこわだ。
そのねっとりとした食感が良い。
凡は、思わず、成る程と頷いた。

んでもって、おかずは、鴨のローストや、ぬた、それに川海老と大豆の佃煮など、どれも琵琶湖の素朴な味わいのもので、それを、ぎゅっと詰め込んだ、楽しいお弁当である。
これは、なかなかに美味しい駅弁だ。

ただ、小芋だけは、これは業務用の冷凍の小芋ではないだろうか。
これは、凡の想像なので、間違ってたらゴメンナサイ。
でも、この業務用の冷凍の小芋は、バカにしている訳じゃなくて、プロの料理人に聞いても、結構な高級店でも使っているそうだ。
しかも、自分で皮をむいて調理するよりも、美味しく炊けるという。
スゴイねと感心するのと同時に、駅弁の中に、いろいろ講釈を書いた紙が入っていたので、それなら、手作りの他のおかずでも良かったなと思ったのであります。

それにしても、最近の相場からいうと、1200円は、値打ちだと思う。
駅弁の端っこに添えられていた紙のサイコロは、何だろうと中を開けたら、飴ちゃんだった。
日進製菓のたまり糖と書かれているので、どんな味だろうと、可愛い口に放り込んだら、みたらし団子のタレの味だった。
弁当を食べた後には、優しい風味だ。

0918頃、 米原発、大垣行きの、普通電車に乗り込む。
大垣駅で、みんな一斉に、小走りにホームを移動して、豊橋行きに乗り込む。

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しばらくして、車内のある吊りビラに気が付いた。
それを見て、ため息が出た。
凡は、こんな広告が、大嫌いだ。

偽善的で、しかも、その偽善を押し付けようとする。

その内容は、盲導犬の目線で、犬が語るという体裁をとっていて、自分の事を可哀想だとか、そんな目で見ないで下さいというのである。
そして、そんな目で自分を見ると、パートナーも悲しむと最後に締める。

勿論、凡は、目の御不自由な方に対して批判的な事を書いているのではありません。
そんな気持ちは、1パーセントも抱いてはいないのです。
寧ろ、何もできないが、気持ち的には、応援したいと思う。

じゃ、何に、ため息がでたのかというと、この広告のライターであり、この広告を考えた団体の人たちである。

と、ちょっと、ここで、その批判的な事を書こうと思うのですが、「平 凡蔵。」は、それは、それは、弱虫で、かつ、引っ込み思案で、喧嘩をする勇気もない弱虫だ。
なので、凡には、批判は無理だ。

と、考えていると、裏の顔を持つ、「天之弱 凡太郎」が登場する。
これは、弱いくせに、ひねくれた考えを、まき散らす厄介な生き物なのである。

凡太郎が言うには、こうだ。

「あなた、犬の喋る言葉解るのですか。」ということだ。
いかにも、これが真実だと言うように、語ってますが、犬が、そう言ったのですかと。

「『かわいそう』そんな目で見ていませんか?」、
って、そんな事言っても、可哀想に決まっているじゃないか。
大体ね、犬の首に輪っかをはめた時点で、可哀想なんだよ。

首に輪っかをはめた瞬間、支配する者と、支配される者に、位置づけが決定してしまう。

まあ、凡自身は、人間以外の動植物は、人間の為に存在していると、今のところ結論付けているので、そこは、そこで良いとは言えるのですが、主従関係は確かにあると思う。

凡は、街角で、野良犬や、野良猫を見ると、素晴らしいなと、しばらく見てしまうときがある。
自由で、それでいて、自分や家族を養っている。
凡に、こんなこと出来るかと問うてみると、イエスとは言えないのである。
ある意味、野良に、敬意すら抱いてしまうのだ。
あの姿こそ、生きるという事だ。

とはいうものの、犬にしたって、ご主人様の言うなりにしていれば、温かい部屋や、美味しい食事を提供してくれる訳で、まあ、シッポでも振っとけば、楽な生活が出来るだろうというシタタカナ考えでいるのかもしれない。

それはそれで、強いなと羨ましくなる。
凡なんて、いつも、ヘラヘラと媚びへつらってさえ、まだ、不毛な待遇から脱しきれないでいる状況に、悶々と悩んでいる訳で、これまた、シタタカナ犬を、羨ましく思ってしまう凡がいる。

どっちにしたって、凡と言う存在は、犬にすら敵わないのである。

いや、話を盲導犬に戻すとね。
彼らだって、ただ、人間に輪っかをはめられた瞬間に、色んな人間のお世話ができるようになった訳じゃない。
訓練されたんだ。
それも、かなりの訓練だ。

ご主人様の誘導の仕方とか、他の誰かに触られたり、大きな音がしても、吠えたりしないで、ジッとしてなさいとかね。
そんな不自然なことを教育された。
だから、出来るんだ、盲導犬としての役割がね。

それを、撫でられたり、褒められたりしたら、シッポを振って喜んでいます、みたいなことを書いていますが、そんな単純なものだろうか。

人間にしたってね、どんなに心の底に悲しみや苦しみを持っていても、友人とファミレスとかでランチするときは、ドラマの話とかで馬鹿笑いすることもあるよ。
でも、家に帰って一人になった時に、その反動で、自殺したりする。
そんなもんだ。
人の心の動きなんて、他人には想像できないよ。

それが、犬の気持ちだよ。
解る訳ない。
シッポを振ってたから、もう、100パーセント喜んでいるなんてことはあるのだろうか。

犬だって、もう、何千年も、人間と生活を共にしてきたんだ。
ということは、犬だって、ただ食欲とか、性欲とか、そんな単純な欲望以外にも、心ともいえる領域があって、ちょっとは、深いことや、人間の気持ちを推し量るような部分もあるんじゃないかって可能性も否定できないよね。
そうじゃなければ、人間と犬は、付き合ってはいけないだろう。

詰まりは、どういうことかというと。
盲導犬は、普通に、のんきに自然体で生きていた犬を、人間が勝手に選別をして、連れて来て、首に輪っかをはめて支配権を得て、それでもって、好きか嫌いか知らないが、人間の役にたつような行動を、犬にとっては、少しばかり、不自由であっても、それを強要して、それを、新しい支配者は、自分の行動が便利になるように、使役しているということなんだ。

それを、犬は、喜んでいると、本当に断言できるのかと、ライターに問いたい。
或いは、団体に問いたい。

ここで、誤解の無いように、再度、書いておきたいのは、天之弱凡太郎は、目の御不自由な人が、盲導犬を使用することを批判しているのではありません。
どんどん、利用して、便利な生活をして欲しいと思う。
盲導犬を使う事によって、凡太郎のように、旅行をしたり、外出を楽しんで欲しい。
これは切に願う。

また、盲導犬という犬を作るということに対して、これは、犬の虐待だとか、犬が可哀想だから止めろとか、そんなことを言っているのでもありません。
大いに、盲導犬を増やして、困っている人の助けになれば、良いと思っている。
犬に対しては、悪いけど、人間の為に働いてくれよ、ということだ。

じゃ、何を批判しているかというと、犬の言葉も解らないのに、さも、犬の気持ちを分かっているというような語り口で喋っているのが腹立たしいのである。
そして、あたかも、それが正しいことでもあるかのように、書いているのが、腹立たしいのである。
「どう?みんな。私たち、良いことを言ってるでしょ。」みたいな。
偽善の押し付けだ。

それじゃ、どうすれば良いのだと言われると、こういうことなのだと、天之弱凡太郎は言うのである。

「盲導犬は、私たちの為に、一所懸命に働いてくれています。なので、どうぞ、もし街中で見かけたら、優しい気持ちで接してください。そして、出来るだけ多くの公共施設などで、同伴できるように、ご支援ください。それから、もし余裕があるなら、是非是非、寄付なども、お待ちしております。盲導犬の厳しい訓練や待遇も、そうしていただけるのなら、ちょっとずつ、改善されるかもしれません。」
こんな感じのコピーになるだろうか。

とはいうものの、こんなことを書いても、ある意味、無意味でもあるのだ。
凡太郎の言ってること自体も、また、ナンセンス。
というのは、凡太郎も、この広告を書いたコピーライターも、2人とも、犬の言葉は、解らないからです。
誰も解らない。

或いは、このコピーライターの言う方が、正解かもしれません。

とはいうものの、解らない時点で、あんな、犬の気持ちが解ったような口調の文章や、偽善的な内容の押し付けを書くこと自体、やっぱり腹立たしいのではあります。

そう凡太郎が言い終わると、黒いソフト帽をかぶり、黒いマントを羽織って、電車を降りて行った。
「黒いマント着て、暑くないのかなあ。」
凡は、凡太郎の背中にむかってつぶやいた。

気が付くと、凡は、冷房の効いた車内で、ぼんやりと吊り広告を見ていた。
そして、「はあ。」と、ため息を一つ。

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ほどなくして、浜松駅に到着。
ホームには、飲み水の部分を閉栓した、水道があった。
どうして、こんなことをするのだろう。
利用する人がいないのか。

駅には、やっぱり、水飲み機は、必要なのにと、誰も聞いてはいないだろうけれど、ポツリと呟いたら、悲しくなってきた。
閉栓するにも工事が必要だから、そのまま置いておけば良いものをね。
それか、冷たい水が出るようにしたら、みんな飲むのにさ。
いや、これは年寄りの愚痴であり、懐古趣味者の意見ではあります。

駅を出て、すぐに近くの商業施設の飲食店に入る。
そして、順番待ちの番号をもらった。

ハンバーグの「さわやか」さんだ。
今年、掛川の「さわやか」さんに行って、レアのハンバーグを食べた。
その味を、もう一度食べてみたくなったのだ。
ひょっとしたら、浜松まで来たのは、このハンバーグが食べたかったからかもしれません。
兎に角ね、ハンバーグも美味しいけれど、スタッフの教育が良いんですよね。
マニュアル通りなのかもしれませんが、人を幸せにするマニュアルなら、大歓迎である。

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ということで、げんこつハンバーグのセットを頂く。
来てよかったと思った。
と、やっぱり、さわやかが目的だったのか。

んでもって、さわやかを出たら、観光案内所で、賀茂真淵記念館への行き方を確認した。
以前来た時に、駅前の地図を見て、どんなところだろうと気になっていたのである。

そうだ、浜松には、ヤマハの工場がある。
みゆきさんの影を求めて、工場見学していないかを聞いたら、やってはいるが、予約制だという。
残念。

IMG_2316.JPG(ヤマハの文字を見るだけで、ちょっと嬉しくなる。ヤマハの工場見学には、みゆきさんに関係するものは、何か展示されてたりするのだろうか。)

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IMG_2318.JPG(気になるよねえ)
ご めんなさい。
(ぺこり)

各記事の下部にあります
アマゾンの「キンドル版 凡蔵。おすすめ選書」ですが、
現在、リンクは中止しております。

「悩み多きブッダたち」

「アルカディアのレフュジー」
(中島みゆきさんの影をさがして)

は、販売中止しました。

買っていただいた方には、
本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。



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「悩み多きブッダたち」

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買っていただいた方には、
本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。