ココロのハズレ。(6)あと何年。

神様というものがいらっしゃるのなら、どうしても是非ともお聞きしたいことがある。

「神様。凡の余命は後、何年でしょうか。何ヶ月でしょうか。何日でしょうか。」

人間は何時死ぬか判らない。

今この瞬間に何かの具合で死んでしまうかもしれない。それは事実だ。

でも、何年生きられるかは人によって違う。

20歳の若者と凡とでは、長く生きる場合の年数が明らかに違う。
若者には50年先があっても、凡には50年先というのはまずないだろう。

もし、あと何年生きられるかが判っていたら、どんなに気が楽だろうと思う。

もし、あと半年って言われたら、仕事も明日すぐに辞めて、世界一周旅行に出かけるだろう。
そんなことも出来る。

今までお世話になった人にも挨拶したり、ミニボンともゆっくり話しをしたりするだろう。

でも、いつ死ぬか判らないから、色んな思いを残していかなければいけない。

もしそういう時がきたら、すごく心残りで、名残惜しいと思うだろう。

母親がガンでもうダメだといわれた時に、そこの病院ではもうダメと判断したときは個室に移されるのですが、その時もまだ母親は生きるつもり、治すつもりでいたのです。

亡くなる前日に病室に行ったときも、「個室代なんぼするの?高いやろ。」とお金の心配をしていた。
まだ、見た目は明日死ぬなんて思えない。

携帯で友人に「この先どうなるんだろう。」ってメールできるぐらいだったんです。
まだ、死ぬなんて考えられなかった。

看護婦さんから、紙おむつをかってくるように言われたときも、「1週間分もいらないと思うけど。」と付け加えられた言葉に悔しくて泣きました。

そんな母親は次の日になくなったのですが、母親自身もその日に死ぬとは思ってもみなかったでしょう。

そう思うと、死ぬ前にしたかった事や、心残りなことが沢山あったんじゃないかと思うのであります。

もし母親がこの日に死ぬと判っていたら、どんな事をしたかったのかなと思うのであります。

こんな事を書いている凡自身も、同じことなんですよね。

そう思うと、今この時に、今したいことをしなきゃと思うのですが、何しろいつまで生きられるか判らないものですから、そんなに上手くはいきません。

明日から世界一周なんて出来る訳がありません。

でも、取り敢えずは、今は生きているんですから、この生きている世界を楽しもうではないですか。

「神様。私の余命はどのくらいですか。」

「明日ぐらいでどないやろ。」

「えっ、明日?そんな殺生なー。明日は堪忍してーな。」

「そんなら、始めから聞かんといてーな。」

「そらそうですね。神様の言うとおりですわ。」
(でも、神様って大阪出身なん?大阪弁丸出しやけど。)

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ごめんなさい。
(ぺこり)

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