散散歩歩。(80)贅沢な旅行。冷凍みかんと、心の貧しい人は幸い。
新幹線「さくら」は、停車をするたびに、乗客が乗り込んでくる。
そして、途中で降りる人は少ない。
皆、九州新幹線を利用して、熊本や鹿児島へ行くのだろうか。
ウイスキーで、ちょっと大人の贅沢な気分を味わった後は、冷凍みかんのデザートといきましょう。
凍ったみかんの皮をむいて一房口に入れる。
「冷たーい。」
まだ、カチカチで、あまりの冷たさに、いっぺんにウイスキーの酔いが醒めた。
爽やかな酸味と香りが嬉しい。
なのでありますが、なのであるのでありますが、1個を食べるころには、念願の冷凍みかんを食べたという満足感は勿論あるのだけれど、あれだけ求め続けたのに、こんな程度だったかなという期待外れ感がこころの底に残っていた。
しかし、その理由は、すぐに気が付きました。
今、凡がいるのは新幹線「さくら」の快適な車内の快適な座席です。
クーラーも効いていて、おそらく電車という乗り物の中で、一番快適な種類の車両の快適快適な座席に座っているのであります。
凡が求めていた冷凍みかんを食べていたころは、学生時代の昔です。
夏の山陰本線などの地方で、直角な硬い座席にすわって、車内の熱さに、首筋や背中にびっしょりと汗をかいて旅をしていました。
もちろんクーラーはありません。
天井に取り付けられた扇風機も、真夏の車内では気休め程度にしか風を送ってはきません。
開けた窓からはディーゼルの油の匂いと、道端の雑草の草いきれが、それでも心地よく。
とはいうものの、窓に置いた腕にジリジリと夏の太陽が降り注ぐ。
そんな状況だったから、冷凍みかんが至福をもたらしてくれたのであります。
冷凍みかんをハンカチに包んで、首筋に当てたり、頭のてっぺんに乗っけたりして、「うーん。冷たくて気持ちいいー。」なんて、そんな状況で食べたから美味しかったんです。
そんなことをして、すこし解けてシャーベット状になったみかんを口にいれた瞬間口中に広がる柑橘系の爽やかなかおりと、冷たいみかんが喉をとおる爽快感が、至福の喜びをもたらしてくれたんです。
でも、今回は快適な空間で食べたのでありまして、それほど感激しなかったのも、うなずけるのであります。
凡は中学生時代に、BCLというものに凝っていました。
BCLとは、ラジオで色んなラジオ局の放送を聞く人のことを意味します。
当時は流行っていたんですね。
夜中に短波ラジオのツマミを指の神経を集中させて、少しずつ回してお目当ての放送局に周波数を合わせる。
特に海外の放送を聞く人が多かったですね。
遠い国から届く、雑音交じりの音楽やトークは、リアルに今、海外と繋がっているという臨場感がありました。
今のように、海外旅行やインターネットが、こんなに安く便利に使える時代じゃなかった時代に海外と繋がる、中学生でもできる趣味だったんです。
それに、聞いた内容や受信状況を放送局に報告すると、べリカードと呼ばれる受信証明書というものを贈ってくれるのです。
それはまさに海外から送られてくる宝物です。
そんなある時に、フィリピンの放送局だったと思うのですが、べリカードとともに栞が送られてきました。
それには、「こころの貧しきひとは幸いである。天国は彼らのものなればなり。」と書かれてありました。
この栞の文章は、聖書のマタイ伝に書かれている有名な言葉です。
中学時代の凡は、この言葉の意味は解らないまま、でも気になる文章として記憶に残ってきました。
「こころの貧しさ」というのは、凡の解釈によると、「こころがプアーな状態なんですね。つまりお腹が空いている状態。」
お腹が空いていると、どんなものを食べても美味しい。
お腹がぺこぺこだったら、例えオニギリ1つでもビフテキ以上の御馳走だし、出がらしのお茶だって甘露の味と感じるでしょう。
こころが腹ペコだったら、どんな状況でも、その状況に感謝して、嬉しいって喜べる。
誰かが、「おはよう。」って挨拶してくれただけで、「ありがとう、バンザイ!」って叫びたくなるように嬉しいだろうし、生きているだけで感謝感謝の毎日であるに違いありません。
そんな状況は正しく天国だろうと思うのです。
勿論、これは凡がキリスト教の知識もなく、ただ文章だけで推測した意味づけであります。
なので、キリスト教の信者が聞いたら、間違ったことを言うなって叱られるかもしれませんが、凡にとって元気が出る解釈が出来たのですから、凡にとっては素晴らしい言葉だと言えるかもしれないでしょう。
そんなことを、冷凍みかんを食べた時に思い出した。
冷凍みかんに、それほど感激しなくなっていたということは、それだけ凡も贅沢になってしまったということだろうか。
もう一度、すべてのものが美味しいって喜べるように、こころもお腹もぺこぺこにしなくちゃいけないのかもしれません。
とはいうものの、今回は贅沢な旅行だ。
贅沢な旅行なんだから、思いっきり贅沢に行こう。
美味しいものをお腹いっぱい食べるぞー。
それこそ愚人であり、凡人である凡なのであります。
そして、途中で降りる人は少ない。
皆、九州新幹線を利用して、熊本や鹿児島へ行くのだろうか。
ウイスキーで、ちょっと大人の贅沢な気分を味わった後は、冷凍みかんのデザートといきましょう。
凍ったみかんの皮をむいて一房口に入れる。
「冷たーい。」
まだ、カチカチで、あまりの冷たさに、いっぺんにウイスキーの酔いが醒めた。
爽やかな酸味と香りが嬉しい。
なのでありますが、なのであるのでありますが、1個を食べるころには、念願の冷凍みかんを食べたという満足感は勿論あるのだけれど、あれだけ求め続けたのに、こんな程度だったかなという期待外れ感がこころの底に残っていた。
しかし、その理由は、すぐに気が付きました。
今、凡がいるのは新幹線「さくら」の快適な車内の快適な座席です。
クーラーも効いていて、おそらく電車という乗り物の中で、一番快適な種類の車両の快適快適な座席に座っているのであります。
凡が求めていた冷凍みかんを食べていたころは、学生時代の昔です。
夏の山陰本線などの地方で、直角な硬い座席にすわって、車内の熱さに、首筋や背中にびっしょりと汗をかいて旅をしていました。
もちろんクーラーはありません。
天井に取り付けられた扇風機も、真夏の車内では気休め程度にしか風を送ってはきません。
開けた窓からはディーゼルの油の匂いと、道端の雑草の草いきれが、それでも心地よく。
とはいうものの、窓に置いた腕にジリジリと夏の太陽が降り注ぐ。
そんな状況だったから、冷凍みかんが至福をもたらしてくれたのであります。
冷凍みかんをハンカチに包んで、首筋に当てたり、頭のてっぺんに乗っけたりして、「うーん。冷たくて気持ちいいー。」なんて、そんな状況で食べたから美味しかったんです。
そんなことをして、すこし解けてシャーベット状になったみかんを口にいれた瞬間口中に広がる柑橘系の爽やかなかおりと、冷たいみかんが喉をとおる爽快感が、至福の喜びをもたらしてくれたんです。
でも、今回は快適な空間で食べたのでありまして、それほど感激しなかったのも、うなずけるのであります。
凡は中学生時代に、BCLというものに凝っていました。
BCLとは、ラジオで色んなラジオ局の放送を聞く人のことを意味します。
当時は流行っていたんですね。
夜中に短波ラジオのツマミを指の神経を集中させて、少しずつ回してお目当ての放送局に周波数を合わせる。
特に海外の放送を聞く人が多かったですね。
遠い国から届く、雑音交じりの音楽やトークは、リアルに今、海外と繋がっているという臨場感がありました。
今のように、海外旅行やインターネットが、こんなに安く便利に使える時代じゃなかった時代に海外と繋がる、中学生でもできる趣味だったんです。
それに、聞いた内容や受信状況を放送局に報告すると、べリカードと呼ばれる受信証明書というものを贈ってくれるのです。
それはまさに海外から送られてくる宝物です。
そんなある時に、フィリピンの放送局だったと思うのですが、べリカードとともに栞が送られてきました。
それには、「こころの貧しきひとは幸いである。天国は彼らのものなればなり。」と書かれてありました。
この栞の文章は、聖書のマタイ伝に書かれている有名な言葉です。
中学時代の凡は、この言葉の意味は解らないまま、でも気になる文章として記憶に残ってきました。
「こころの貧しさ」というのは、凡の解釈によると、「こころがプアーな状態なんですね。つまりお腹が空いている状態。」
お腹が空いていると、どんなものを食べても美味しい。
お腹がぺこぺこだったら、例えオニギリ1つでもビフテキ以上の御馳走だし、出がらしのお茶だって甘露の味と感じるでしょう。
こころが腹ペコだったら、どんな状況でも、その状況に感謝して、嬉しいって喜べる。
誰かが、「おはよう。」って挨拶してくれただけで、「ありがとう、バンザイ!」って叫びたくなるように嬉しいだろうし、生きているだけで感謝感謝の毎日であるに違いありません。
そんな状況は正しく天国だろうと思うのです。
勿論、これは凡がキリスト教の知識もなく、ただ文章だけで推測した意味づけであります。
なので、キリスト教の信者が聞いたら、間違ったことを言うなって叱られるかもしれませんが、凡にとって元気が出る解釈が出来たのですから、凡にとっては素晴らしい言葉だと言えるかもしれないでしょう。
そんなことを、冷凍みかんを食べた時に思い出した。
冷凍みかんに、それほど感激しなくなっていたということは、それだけ凡も贅沢になってしまったということだろうか。
もう一度、すべてのものが美味しいって喜べるように、こころもお腹もぺこぺこにしなくちゃいけないのかもしれません。
とはいうものの、今回は贅沢な旅行だ。
贅沢な旅行なんだから、思いっきり贅沢に行こう。
美味しいものをお腹いっぱい食べるぞー。
それこそ愚人であり、凡人である凡なのであります。
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