散散歩歩。(325)夜に路傍で咲いている花。

仕事の帰り道、凡の古いマンションの近くまで来たら、道の端に小さな黄色い花が咲いていた。

その花は、夜の11時近くの、暗い細道の排水溝に沿って、空港の滑走路の誘導灯のように、光っているようだった。

その明るい黄色に、驚いたぐらいだ。

「ねえ、君。もう夜なんだよ。どうしてそんなに一所懸命に咲いてるの?」
訊いてはみたが、答えるはずはない。

ただ、そこに咲いていることが、愛おしかった。

でも、花は蝶や蜂などの昆虫が蜜を吸いにきて、受粉するんだよね。
こんな夜中に飛んでいる蝶や蜂を、いまだこの細道で見たことが無い。

昼間に咲きゃ、もっと蝶や蜂にも気が付かれようものを。
どうしたの?ねえ。

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(捨てられた玉子のプラスティックの容器の横で、溝の横で、夜に咲いていた黄色い花)

今までも、たぶん昨日も、たぶん一昨日も咲いていたんだろう。
でも、そんな花は目に入らなかったな。

それでも、可愛く咲いている花が、何故か愛おしくて、振り返ってみる。

やっぱり、ただ咲いていた。

夜咲いているという、夜咲かなきゃいけなかった花に生まれてきたという、その花の性が切なくて、花なんか普段鑑賞しない凡でさえ、ビールを飲みながら、今まだ咲いてるのかな、なんて思い出してしまう。

そんなことがあって、次の日の出勤の時、駅までの路傍を見ながら歩いていると、普段気が付かなかったのだけれど、いろんな花が咲いていることに気が付いた。

田舎ならまだしもね、こんなアスファルトばかりの道にも花が咲いている。
そう思うと、駅までの道が急に愉快になった。

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(可愛い豆までつけていた)

そういえば、何年か前に、路傍の雑草に水をやっているオバサンがいたな。
彼女もまた、路傍の花が美しいなと気が付いた1人なのかもしれないね。

その雑草も、年に1回花を咲かせるのかも。
いや、花を咲かせなくても、葉の緑だけでも美しいということに気が付いたのかもしれません。

そんなことを思い出しながら、そしてちょっと得をした気分で、京阪電車に乗った。

長いシートに座っている女の子が、人目を気にせず化粧をしている。
人工の粉を塗ったり、人工の睫毛を張り付けたりね。

こっちの花も大変だ。

路傍で可憐に咲く花と、人工のもので男を引き寄せようとする花。

どうなんだろうね。

、、、、、いや、実際のところ、人工に作られた美人の花もまた、やっぱりいいのでありますが、こっちの花には縁がない。

最後の香水の1噴きで、ノックアウト。

どうも、凡はどんな花にも弱いようであります。

きっと、彼女もたつきを立てるために、頑張っているんだろうな。
他人には分らないけれどもね。

電車が淀屋橋に着いてドアが開いたら、美人の花は凡などには一瞥もせずに、7センチのヒールをコツコツ言わせながら改札口に向かって行った。

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学生時代に先生が、その国の文化の成熟度は、ボキャブラリーの数に比例するというような意味の事を言った。

例えば、色でも花でも、抽象的なことでもね、それを表す言葉が多いほど、文化的に成熟しているというのだ。

凡が路傍で見つけた人からは雑草と呼ばれている花も、実際には名前が付けられているんだろうね。

そして、それを知ればよりその花を見る時の気持ちも豊かになるだろう。

とはいうものの、その花にしてみれば、わざわざ人に名前なんか付けてもらわなくてもいいやという事かもしれない。
日本語が喋れたら、きっとこういうね。

「花なんて、咲いてりゃいいんだよ。」ってね。

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(ポピーなんて、昔は路傍に咲いていなかったよね)
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(ぺこり)

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