散散歩歩。(478)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(163)

2月4日の水曜日、凡はなんばパークスの映画館のシートに座っていた。

また行ってしまったのであります。

2回連続でみゆきさんの縁会2012~3を見に行ったものですから、今回の休みは止めておこうと思ったのです。
やりたいことや、やらなきゃいけないことがあって、それがぜんぜん出来ていないので、止めておこうと思ったのです。

それに、前日の晩に、「また、みゆきさん見に行きたいなあ。」って言ったら。

ミニボンが、「映画やろ、内容同じやろ。そんなん1回ちゃーっと見たらそれでええやん。往生際悪いなあ。」ときたものでありますから、どうも行きにくいというのもある。

なのですが、朝起きると「みゆきさん行かないの?」なんて聞くものですから、凡にしたって、やっぱり行ってみようかなという気になるというものである。

そんな気持ちで、天王寺の一心寺におばあちゃんや、生まれてすぐに死んだお姉さんの祥月命日のお参りに行ったのでありますが、終わって時間を見ると、今からなんばパークスに行けば、ちょうど映画が始まるころではないですか。

なので、映画館に来てしまったのであります。

なんばはやっぱり賑やかな土地でもあり、ターミナルでもあり、やや狭い劇場ですが、中央から後ろにかけては4割ぐらいの席が埋まっていた。

凡の座ったのは、前のブロックで、その中央だ。
前のブロックは、凡の他に2名座っていて、凡の列の1番左に男性が1名、1番右に女性が1名。

これもケッタイではある。
もう少し、真ん中寄りでも良いのではと思う凡なのでありましたが、この1番端に座るというのも、またみゆきさんのファンの心理なのでありましょうか。
1人で見たいという気持ちは凡も解らないではありません。

さて、肝心の映画でありますが、少しばかり疲れていたのだろうか。
お腹が空いていて、ポテトとコーラを買って入って上演前に食べたせいだろうか。
はたまたみゆきさんの歌声が素敵だったからだろうか。

心地よい眠気が襲ってきまして、途中3秒ほどの意識喪失を10回ほどいたしました。
何をしてるんでありましょうか。

それにしても、可愛いですよね。
みゆきさんは。

またもや、ウットリとしながらの2時間でありました。

映画館を出て、エスカレータで下りて行く。

凡の前後は自然にみゆきさんのファンが流れで一緒に帰っていくということになることが多いですよね。
凡はそんな雰囲気も好きだ。

みんなみゆきさんが好きで見に来たんだなと思うと、話なんてしないけれども、そのあたりの空間だけ何となく、ほんわかとした空気が漂っているというか、見えないあったかいものを無意識に共有しているというか、そんな感じがするんだ。

凡の同じエスカレータに乗っていた人は、そんな思いはしているんだろうか。
たぶん、同じように感じていると思う。

すると、凡の後ろの女性の2人組が話をしている。
親子なのか、友達なのか。

「時代って、あの人の歌やったんや。」と若い女性が言った。

凡はエスカレータからこけそうになる。
みゆきさんを好きになる前の凡だって、時代がみゆきさんの曲だってことは知ってたよ。

とはいうものの、話をそれとはなしに聞いていると、今の若い人は、時代を色んな人のカバーで聞いているようであります。
そういえば、色んな人が歌ったりしてるのかな。

その若い女性は、年配の女性に誘われて来たようで、初めてみゆきさんが歌うのを聞いたようです。

それで、こう言っていた。
「何か嬉しそうだった。」と「可愛かった。」

そうなんだよ。
今の若い人にも、みゆきさんの可愛さが解るんだ。
やっぱり、すごいね、みゆきさんは。

そんでもって、みゆきさんの魅力の話なんだけれど、

前回に、みゆきさんの魅力は「口」だと書きかけたんだけれど、またまたつけまつ毛のことなんであります。
まだ書き足りないような気がするんだ。

みゆきさんがステージで着けているつけまつ毛が素敵のは、これは間違いがない。
いつまでもいつまでも見ていたいつけまつ毛である。

ただ、これはみゆきさんの瞼に貼り付いているから、というか貼りつけられているから素敵なのであります。

もしも、このつけまつ毛が、どこかの喫茶店のテーブルの上に置かれていても、素敵だとは感じないだろう。
むしろ、ぎょっとする。
あの剥がした後のつけまつ毛は、洗面台の上などにあったら、得体のしれない虫にしか見えない。
あれは、怖い。

みゆきさんの瞼に引っ付いていないところのつけまつ毛は、単なるつけまつ毛で、ことさら珍重するべきものではない。

とはいうものの、1度でもみゆきさんの瞼に引っ付いたという過去のあるつけまつ毛になると話は変わってくるのでありまして、これはもう頬ずりしたいほど愛おしいものとなる。

ということから考えると、つけまつ毛が素敵だというその由って来るところは、みゆきさんの肉体に触れたものが素敵だという事になる。

なので、みゆきさんの身体に身に付けている服やネックレス、使っているペンやカバン、住んでいる家、座っている椅子、挙げていったらきりがない。
それらの物体は、凡には心から愛おしいと思えるものである。

そんな物体を凡は触ってみたい。
頬ずりしてみたい。

それはある意味、間接キッスにも繋がるこころの動きである。

それを変質的であると決めつけるのは、すべての恋愛感情の存在を否定することである。
所有欲、独占欲、接触欲、そんなものが、自分の好きな人と結びつくことが恋であるからだ。

それは、愛ではない。
けれども、もっとエゴがむき出しなところが人間味のある部分であり、それはもっと潔く表現すべきだと思う。

そんな、感覚。
つまりは、みゆきさんの身体に触れたものが愛おしいという感覚を広げていったなら、これは、すごい世界が広がってくる。

みゆきさんの乗った電車のシート、みゆきさんの歩いた歩道の足跡、みゆきさんが押したデパートのエレベータのボタン、或いは、もっと時間を巻き戻して、みゆきさんが食べた帯広の食堂のカレースプーン、札幌の喫茶店のドアの取っ手。

それらのすべてに愛おしいと言う感情が芽生えだしてくる。

それだけじゃない。
みゆきさんが吸った空気、吐いた空気。
今まで生きてきた分の空気の量を考えるとものすごい量だ。

それにその空気は毎日毎日拡散し続けている。
或いは、その極一部は、大阪の凡の家の近くにも移動してきているかもしれない。

更には、みゆきさんの移動した空間。

この世界の空間を毎日毎日みゆきさんは移動するときに、その空間に触れながら移動している。
そのみゆきさんの身体の巾の部分のリボンのような空間が、みゆきさんに接触された空間として、毎秒毎秒作られ続けている。

空間には、過去も現在もないから、赤ちゃんの頃からのみゆきさんの接触された空間が、増え続けているんだ。
或いは、帯広や札幌にも、たぶん東京には1番濃い空間があるのかもしれないね。

それでもって、さらに妄想を広げるなら、地球は自転している、そして公転もしている。

みゆきさんの身体に接触した空間が、宇宙空間にも作られ続けているんだ。

何と素敵なことだろうか。
凡の愛おしい愛おしい空間が、世界中に広がっていく。
世界全部が、宇宙全部が、愛おしいんだ。

そう思うと、戦争なんて絶対にするべきではない。
やって欲しくはない。
凡の愛おしい空間の世界なのであるから。

みゆきさんのつけまつ毛は、美しい。
それは、みゆきさんに接触しているから。

とはいうもののである。
みゆきさんのつけまつ毛は、ややボリュームのあるものを、やや目じりが笑った時に更に目じりが下がるように見えるような、やや端を下向きに着けるからこそ、美しいと思う。

これだけは、みゆきさんやメイクの泉沢紀子さんに伝えたい。
本当に、つけまつ毛のつけ方が素敵です。

つけまつ毛のつけ方を褒められて、どれほど嬉しいかは知らないけれど、これだけは素敵だと大声で叫びたい。

そして、みゆきさんの魅力の、、、、口であります。

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(ぺこり)

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