散散歩歩。(75)龍谷ミュージアム。同窓会は好きですか。
学生時代の友人と会うのは楽しいものだ。
もう、何年も会っていないのだけれど、話をしだすと何十年も前と同じようにしゃべることができる。
先日、久しぶりに大学時代の友人と京都に行くことになった。
龍谷ミュージアムが出来たので見に行こうというのです。
凡の出身の龍谷大学が作った博物館です。
京都で待ち合わせて遅めのお昼を学食で食べようと行くと、時間が終わっていた。
久しぶりの学舎には、大学生が、そこここで集まって楽しそうに話をしたりしてる。
その様子をみると、羨ましくなると同時に、あれから凡は何て無駄な時間を今まで費やしてきたのかを悔やんでしまう。
なのであるが、悔やみながらも、その瞬間もまた、継続して無駄に生きているのであります。
何と愚であり凡であるのか。
学食が閉まっていたので、何も食べずに龍谷ミュージアムに向かう。
ここには、学生時代の同級生が働いている。
このミュージアムの企画の段階から担当しているとのことで、忙しい時間の中、わざわざ凡と友人の為に、出てきて説明をしてくれた。
本当に何年かぶりに会ったのですが、変わっていない姿がうれしかった。
そして、ミュージアムを背負っているという勇姿が同級生として頼もしかったと同時に、自分の不甲斐なさも鏡の像のように映し出してしまう。
ああ、凡は何と卑屈な人間であることか。
皆さんは、同窓会が好きでしょうか。
あまり頻繁に開くことがないのですが、あれば必ず参加します。
何年経っても、その当時に戻って打ち解けることができるのは、若い時代に時間を共にしたプレゼントなのでしょうね。
でも、楽しい気持ちの片隅に、悶えるような寂しさを感じてしまうのは、凡だけだろうか。
学生時代は、みんなイコールだった。
同じ場所に同じ立場でいたのです。
でも、それから何十年も経つと、それぞれ全員がそれぞれの環境で生きてきて、その結果のそれぞれになっているのです。
男同士で話をすると、仕事や年収の話になることがあります。
「え、俺らぐらいの歳になると、それぐらいの収入あるんとちゃうの。」
「、、、。そうなんや。僕は、それの3分の1以下や。」
今の境遇はすべて、自分のしてきたことの結果なのでありますが、胸が詰まる何かがあります。
同窓会から自宅に帰って、ミニボンの寝顔を見て、涙がでました。
凡と結婚しなければ、もっと楽しいイキイキとした生活が出来ていただろうに。
「ごめん。」
そんな自分や今の境遇を変えたいと、もがくのでありますが、怠惰と臆病というぬかるみに足をとられて身をよじるだけなのであります。
人がみると、おかしな中年の阿波踊りにしか見えないでしょう。
凡は阿波踊りすら踊れない。
龍谷ミュージアムでは、「釈尊と親鸞」というテーマの展示がされていた。
ゆっくりと絵や仏像を見ていると、気になる絵があった。
その絵がかえている内容について、どうも理解ができないのであります。
しばし、その絵の前で立ち止まっていた。
凡の懐かしい母校
卒煙支援ブースなるものがあって、びっくりした。
もう、何年も会っていないのだけれど、話をしだすと何十年も前と同じようにしゃべることができる。
先日、久しぶりに大学時代の友人と京都に行くことになった。
龍谷ミュージアムが出来たので見に行こうというのです。
凡の出身の龍谷大学が作った博物館です。
京都で待ち合わせて遅めのお昼を学食で食べようと行くと、時間が終わっていた。
久しぶりの学舎には、大学生が、そこここで集まって楽しそうに話をしたりしてる。
その様子をみると、羨ましくなると同時に、あれから凡は何て無駄な時間を今まで費やしてきたのかを悔やんでしまう。
なのであるが、悔やみながらも、その瞬間もまた、継続して無駄に生きているのであります。
何と愚であり凡であるのか。
学食が閉まっていたので、何も食べずに龍谷ミュージアムに向かう。
ここには、学生時代の同級生が働いている。
このミュージアムの企画の段階から担当しているとのことで、忙しい時間の中、わざわざ凡と友人の為に、出てきて説明をしてくれた。
本当に何年かぶりに会ったのですが、変わっていない姿がうれしかった。
そして、ミュージアムを背負っているという勇姿が同級生として頼もしかったと同時に、自分の不甲斐なさも鏡の像のように映し出してしまう。
ああ、凡は何と卑屈な人間であることか。
皆さんは、同窓会が好きでしょうか。
あまり頻繁に開くことがないのですが、あれば必ず参加します。
何年経っても、その当時に戻って打ち解けることができるのは、若い時代に時間を共にしたプレゼントなのでしょうね。
でも、楽しい気持ちの片隅に、悶えるような寂しさを感じてしまうのは、凡だけだろうか。
学生時代は、みんなイコールだった。
同じ場所に同じ立場でいたのです。
でも、それから何十年も経つと、それぞれ全員がそれぞれの環境で生きてきて、その結果のそれぞれになっているのです。
男同士で話をすると、仕事や年収の話になることがあります。
「え、俺らぐらいの歳になると、それぐらいの収入あるんとちゃうの。」
「、、、。そうなんや。僕は、それの3分の1以下や。」
今の境遇はすべて、自分のしてきたことの結果なのでありますが、胸が詰まる何かがあります。
同窓会から自宅に帰って、ミニボンの寝顔を見て、涙がでました。
凡と結婚しなければ、もっと楽しいイキイキとした生活が出来ていただろうに。
「ごめん。」
そんな自分や今の境遇を変えたいと、もがくのでありますが、怠惰と臆病というぬかるみに足をとられて身をよじるだけなのであります。
人がみると、おかしな中年の阿波踊りにしか見えないでしょう。
凡は阿波踊りすら踊れない。
龍谷ミュージアムでは、「釈尊と親鸞」というテーマの展示がされていた。
ゆっくりと絵や仏像を見ていると、気になる絵があった。
その絵がかえている内容について、どうも理解ができないのであります。
しばし、その絵の前で立ち止まっていた。
凡の懐かしい母校
卒煙支援ブースなるものがあって、びっくりした。
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