散散歩歩。(397)アイラブユー・ほたえてくれ!みゆきさーん。(106)

東京2日目の26日。
夜会工場は、やっぱり素敵で、みゆきさんは可愛かった。

特に「問う女」の「SMILE,SMILE」の怪獣のぬいぐるみのみゆきさんは、これはどうしたものだろう。

言葉にできないほど、可愛い。

動きも表情も楽しくて、ありえないほどの優しい笑顔を振りまいてくれる。
ぎゅっと抱きしめたくなったけれども、ここは2階席、距離の無常さを感じた。

2時間の夢の時間もあっという間に終わってしまった。

それでもやっぱり立ち去りがたく会場の周りをうろうろしていたのです。

その時に、ある言葉を思い出した。
それは入場を待っている時に後ろの人が話していた言葉。

「出待ち」

その部分だけが耳に残っていた。
そうだ、どうせ何処へ行くあてもない。

会場をぐるっと半周すると、通用口らしきところに若い人が10人ぐらいだろうか立っている。
凡も並んで待つことにした。

昨日は10時15分だったとか、そいう話が聞こえてくる。
そうか昨日も来れば良かった。

30分ぐらい待っていると、係りの人が、タクシーの後ろのトランクに小さなボストンバッグと何か不明なものを積んでいる。
荷物は意外と少ない。

すると通用口に小柄な女性が表れた。
遠くからでも分る、みゆきさんだ。

ハンチングを丸くしたような帽子、あれは何ていう帽子なんだろうか凡は名前を知らないけれど、そんな帽子を被ったみゆきさんが表れて、入り口で挨拶をしているようだ。

急に胸が高鳴る。

そしてタクシーに乗り込むと、ゆっくりと凡の待っている出口に近づいて右折すると、ちょうど凡の目の前にみゆきさんのタクシーが通る。

半分開いたタクシーの窓には、帽子を被って、分厚い眼鏡を掛けたみゆきさんが笑顔で座っていた。

そして白い指先が暗いタクシーの窓から振られているのが見えた。

たぶんあれはメイクを落とした素顔だったと思う。
そしてその距離3メーターぐらいだろうか。

こんなに近い距離で、しかも素顔のみゆきさんを見られるなんて、思ってもみなかったので、何も声を掛けることもできずに、呆然と立ち尽くしていた。

もう、これは言葉にもできない感動だ。

みゆきさんが行ってしまったあとも、しばらく胸が打ち震えていた。

近くで見る素顔のみゆきさんは、舞台のみゆきさんから想像も出来ないぐらい地味な感じで、小柄で、ずっとそばにいたいと思うような存在だ。

あんなに迫力のある歌を歌って、素敵な曲を作る人だなんて思えないぐらいか弱い感じである。

凡は、みゆきさんは素顔が1番可愛いと思う。

DVDでも、メイキングの映像を見るのが好きだ。
素顔のみゆきさんが映っているから。

そこが普通の芸能人と違うところだね。

これは東京から帰っての事だけれど、ミニボンにパンフレットを見せた時のことだ。

素顔のみゆきさんを見て、誰かの漫才師に似てるって言った。
この場合の漫才師という表現には、可愛いという意味は含まれていない。

詰まりは、ステージや写真のみゆきさんと、素顔は違うと言いたいようなのだ。

それを聞いて、ミニボンの審美眼もまだまだだなと思った。

ミニボンには、ややこしくなるから説明しなかったけれど、みゆきさんの美しさを全く持って理解していない。

本当の美を感じることが出来ないなんて、哀れである。

いいですか。
みゆきさんは素顔が1番可愛い。

これは間違いがない。

そして、ステージや写真のみゆきさんもまた、可愛い。

これはどういうことか分るだろうか。

みゆきさんの写真を、何枚でもいい、机に並べて見て欲しい。
その写真のどれをとっても、その他のみゆきさんの写真と違う表情を表現している。

ある写真は、アイドルのようだ。

そして、ある写真は、色っぽい。
そして、ある写真は、清楚だ。

どの写真をとっても、違うみゆきさんであって、そしてどの写真をとっても美しい。

これはどういうことか解るだろうか。

つまりは、素顔が美しいから、どんなメイクをしたって美しいという事なんだ。

さらに素顔が美しいという事は、どういうことかというと、素顔の基礎である骨格が美しいという事だ。

詰まりはね、みゆきさんの頭蓋骨が美しいという事なんだ。

こんな完璧な頭蓋骨の女性はまず世界中を探したっていやしない。

頭蓋骨というのは、脳頭蓋、顔面頭蓋、耳小骨、ウォーム骨からなる頭の骨だ。
このそれぞれの形もバランスも完璧なのがみゆきさんということだ。

頭蓋骨が完璧だから、素顔も美しくて、さらにメイクをした顔も美しいのである。

すべての美の要素が、みゆきさんの頭蓋骨に集約されている。

凡の尊敬する岡本太郎さんは、白目の持つ美しさには気が付いていたのかもしれないけれども、頭蓋骨の美しさには気が付いていなかったのではないだろうか。

もし岡本太郎さんが、みゆきさんに出あっていたならば、岡本太郎さんの作品は頭蓋骨だらけになっている筈である。

太陽の塔だって、金の顔じゃなくて、頭蓋骨の塔になっていたに違いない。

夏目漱石や立派な事を成し遂げた人の脳みそは、東大だか、どこかの大学に今でも保存されているという。

そんなことをするぐらいなら、みゆきさんの頭蓋骨は、国立博物館にでも展示されるべきだ。

そして、これからの美を追求する人は皆、このみゆきさんの頭蓋骨を見て、本当の美しさを知るべきなのである。

小学生には、修学旅行で、みゆきさんの頭蓋骨を見ることを文部省は推奨すべきである。
そうすれば授業で美術なんてやらなくていい。
美と言うものを知ることが、美術の授業の目的なのだから、みゆきさんの頭蓋骨だけで、その目的が達成されるだろう。

何と愛おしいことなのだろう、みゆきさんの頭蓋骨は。

出来ることなら、その欠片をいつもポケットに入れておきたい。
とはいうものの、1部が掛けてしまっては、台無しになるだろうから、それは諦めることにしよう。

というか、みゆきさんには、いつまでも生き続けてほしいものね。

そんなみゆきさんの素顔を目の前にして、どうにもやっぱり、みゆきさんに凡という存在を知ってほしいと願うようになった。

タクシーが去っていったあとは、みんなぞろぞろと駅の方に向かって帰りだす。

凡も、歩き出したけれど、しばらく胸の震えが止まらなかった。

画像
(必死で取ったチケット)

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ごめんなさい。
(ぺこり)

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本当に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。